コラム - 院長より

 

Vol.41 2006/10/15

病を全うすること

 先日、あるスピリチュアル(霊性)な方とお話しする機会がありました。その方に我々は病気から何を学ぶべきか、治ったからといってそれでおしまいでいいのか、我々はその病気を全うしなければいけないのです。先生、この意味は深いのです、と言われました。病気を通して我々は何を学ぶべきなのでしょうか?

 数年前にお葉書で私にエールをお贈りくださった(院長コラム第9章に掲載)京都の大徳寺大仙院の尾関宗園住職の寄稿に、今こそ出発点と称する一編の詞がありました。『人生とは毎日が訓練である。私自身の訓練の場である。失敗もできる訓練の場である。生きていることを喜ぶ訓練の場である。今この幸せを喜ぶこともなく、いつどこで幸せになれるのか。この喜びをもとに全力で進めよう。私自身の将来は、今この瞬間にある。今ここで頑張らずに、いつ頑張る。』とありました。

 またスピリチュアル・カウンセラーの江原啓之氏が、その著書の中で『私たちはこの世を生きる旅人です。旅の目的は、さまざまな経験を通して感動を得ることにあります。感動とは、心が感じ動くこと、喜怒哀楽の感情すべてです。私たちの魂は、楽しいことも、つらいことも含めた新たな経験や感動を日々味わうことで、少しずつ磨かれ、成長していくのです。そして人はみな、現世で得た経験と感動をもって、いつの日か魂の故郷に帰っていきます。この世でそれぞれ与えられた旅の時間は有限です。だからこそ、今、目の前にある一日を、恐れることなく、前向きに生きることが大切なのです。幸せは、遠い未来にあるのではありません。「今」この時にあるのです。』とお書きになられていることを思い出しました。

 お立場の違う、このお二人の意図されていることが全く同じであることに私は大きな感動を受けました。今も病に伏している方は、今まさにその一瞬を生きることこそが幸せを喜ぶ訓練の場なのかもしれません、そして大病から復帰された方は、喉もと過ぎれば何とかではなく、その病気を通してどんな経験と喜怒哀楽の情を抱いたかを忘れず持ち続けることが大切であると思います。これこそが神から与えられた魂の着物である、肉体に与えられた病を全うすることに通じるものであると確信します。