コラム - 院長より

 

Vol.59 2008/4/15

春 桜の下で想うこと

 桜前線が北上し、現在 弘前城の桜が満開となっていると聞きました。私の故郷、信州諏訪も今頃まだ寒いながらも美しく桜色に染まっています。3月から4月は、卒業や進学など新たな活動が展開する時です。私自身にとっては、大きな変化はありませんが、この卒業の時期にいつも想うことがあります。

 医学部を卒業し研修医になった時、学位論文が完成し大学院を終了した時、脳神経外科専門医の試験に合格できたとき、いつもこれで勉強は終わりだ! やっと遊べる、これで勉強は卒業できた!と思ってました。そうすると不思議なもので、試験前に一生懸命覚えたものはどんどん頭の中から消えていく。消えていくような知識しか得ていなかったのか! 卒業とは忘れることの始まりなのか、などと考えてしまいました。

 この度、クリニックの近くにある東京衛生学園の学校長から学園の卒業論文集をいただきました。その巻頭の言葉として校長先生がお書きになられていた序文を拝読し、感動しました!!

卒業論文集によせて

学校長 後藤 修司

 世阿弥が聞き書きしたという「風姿花伝」の中に、「初心忘るるべからず」という言葉があります。 一般的には、物事を始めたときの端々しい気持ちを忘れずに、「今年は初心に帰って・・・」と言うふうに使われる事が多いようですが、彼の使った本来の意味は少し違っているようです。初心というのは、「ある時の水準」に至った状態を指し、当座の花とも言い表したそうです。つまり、声も身体も定まり、芸もある水準に至ったことで、一生懸命練習をし、厳しい修行の中で、ある技を会得したその時の気持ちこそ、初心なのだと言っています。それは完成ではなく、芸の内のたった一つの会得にすぎないのですが、しかし、そんな時、ともすると人は、周りからも一定の評価を得るし、自分でもかなりな所まで到達したと自画自賛し、向上する気持ちをなくしてしまう。長い修行中にふと訪れる慢心を戒め、芸の奥深さを後世に伝える思いがその言葉の中にはあったようです。

 医療の技術にしても同じことが言えます。卒業して何年か経った時、「初心忘るべからず」、この言葉の本来の意味も思い出し、更なる精進をして欲しいと願って止みません。ともあれ、卒業・国家 試験合格はあくまでも、専門職としての医療人への1つのステップであることを肝に命じ、生涯にわたり学び続けてください。

 卒業とは、自分がそれまで習得したもの極めたものをさらに磨くためのスタートであると私は思います。初心というものが「ある時の水準」に至った状態を指し当座の花であるのならば、その花をさらに美しく華やかに咲かせるように、栄養を与えて育て始めることが卒業の第一ページ。決して忘却の始まりではなかった。私自身を省みると、脳神経外科の知識・技術、患者さんと話すその術も、これでいいんだと慢心せず再び磨くために、この春、今までの自分を卒業しようと思います。

 桜の下で涙を流して卒業し、桜の元で新たな方向に進んだあなた、美しい桜の季節が訪れた時、あの時の熱き想いを忘れずに、さあもう一度一緒に進みましょう!