コラム - 院長より

 

Vol.89 2010/10/15

たましいの気づき  医療とスピリチュアルの両面から
(江原啓之氏との特別対談)
~ ありがとう そして ごめんなさい ~

 9月28日、大田区立アプリコ大ホール(1500人)にて、スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之氏を招いて、私のクリニック主催のスピリチュアル講演と江原氏と私の特別対談(その時のタイトルが表記のものです)を行いました。当日はお陰さまで、平日の雨天にもかかわらず、満員御礼となり、大きな感動と経験をもって終了することができました。江原氏さんにはもとより、ご来場を賜りました皆々様、講演会を企画・実行に尽力してくれた全てのクリニックスタッフに心より感謝いたします。

 第一部の江原氏の講演では、人生は旅、どれだけ込めて生きていくかが大切、たとえ現世で、周囲のみんなに嘘をついていても自分だけはだますことはできない、絶対、自分に正直に生きていくこと、そして生きる中では感情だけでなく理性も必要、そこに必要なのは 内観すること。まさに気づきが大切。 私が心に残ったフレーズを列挙してみました。込めながら、内観しながら理性をもちながら自分に正直に生きていきたいと、私のたましいの気づきでした。

 第二部の私と江原氏の対談では、この世で生き抜くためには、たましいとそれが宿る肉体両方とも大切にして生きていきましょうというのが、そのテーマの根底にあったものでした。
 まず、病とは医学的には細胞が正常に機能していないこと、スピリチュアル的には3つの病の観方があることが確認されました。1)肉の病 (過労、不摂生からくる) 2)思いグセの病、3)宿命の病 (寿命)。 この中で思いグセの病が一番多いとのこと。例えば、消化器の病を持っている人は、自分の人生を消化しきれない悩みや苦しみによってでるシグナル。
 うつ病はスピリチュアル的な観点から見ると愛の電池が切れてしまうと、愛の誤作動からくる病。重症化して苦しんで理性がなくなってしまった方には、「あなたが必要だ!」と、愛を持って周りの人が引っ張っていくことが必要な段階もあること。
 認知症は、過去のトラウマの表出状態であり、その周辺症状として暴言を吐く人は、元気なころ言いたくても言えなかったトラウマ、なんでも食べてしまう方は、食べることに悔いがあった方、徘徊する人は、何か逃げたい生き方だった。魂は生きている。怒ることをやらせてあげたい。毎日の介護は、してあげながら最後まで見守って、寄り添うこと。臨床医学からは思いつきもしない観方、まさにここにもたましいの気づきがありました。人間の体に、たましいが入るのはまさに受精の瞬間、体からたましいが抜け出し幽玄界に戻るのは、スピリチュアル的には脳死状態ではなく心臓が停止状態に陥った時。たとえ脳死になっても、人は最後まで 聴覚が残っている。脳死だったとしても、話している言葉は聞こえている。だから目の前の方に一杯話しかけてあげましょう。愛は脳から生まれるのではなく、心から生まれいずるもの。

終演時には、自分の生き方を顧みての瞑想(祈り)の時間を設けました。その時、江原氏から暖かい言葉がありました。瞑想は祈り、自分の魂が今、自分に必要なことを教えてくれる時。「ありがとう」必ず何かにお世話になって私たちは生きている。だから「ごめんなさい。」 つつがなく生きていることが当たり前だと思ってしまいますが、今、生きていることの事実自体が、たくさんのことに甘えてお世話になった結果であり、今があることを忘れてはいけません。生きていて ありがとう、そして、ごめんなさい。各人の意識と感謝によって、自分の中の愛の電池を充電できるとの内容でした。

この内容をこのコラムに書くにあたっては、一人のクリニックスタッフのブログの詳細な記録も参考にさせていただいております。今 私自身、あらためて、当日感じた私のたましいの気づきを、日々の生活の中でどのように実践していくか、実践していけるかを考えています。人間は感情の生き物、感情をどうやって理性でコントロールしていくか! 本当に私自身も大問題です。 講演会の後、たくさんの方からお手紙やメールにてご意見・感想をいただきました。たましいの気づきは皆さん三者三様。
しかし大事なことは、ご自分のたましいが気づいたら、自分のたましいに嘘をつかず、体を大事にメインテナンスをしながら、生き抜くことではないかと思います。

みなさん、医療とスピリチュアルの両面から我々の生きるということを考えること、これは本当に大切なことだと思います。医療のみでも、スピリチュアル一辺倒でもけしてよいとはいえません。 両方の良いバランスを保って、生き抜いていこうではありませんか!!