コラム - 院長より

 

Vol.92 2011/1/18

ファウスト  ~ゲーテ作~

 皆さん、新年がスタートしました。街にも静かに新たな活気が戻ってきているのを感じます。
 新年にかけて、ドイツの哲学者ゲーテの作品、ファウストを読みました。この本は学生時代から、受験勉強の文学史で名前だけは知っていましたが、なんだか難しそうで手が出ませんでした。読みやすい訳本が出版されるようになってやっと今回手が出ました。読み終わったあと、18世紀後半の人が考え、疑問に思っていたことと、21世紀を生きる私たちの疑問がほぼ同じであったことに驚きました。
 物語の中のファウスト博士は、医学、神学、法学、哲学などの学問を究めたドクトルであり、大学教授に就任しました。しかし、歳をとったファウストの内面は、常に矛盾に満ちていました。何のためにこれほどまで学問を積んで学ばなければならなかったのか?周囲が楽しく遊んでいた若かりし時も勉強し、家庭などもつ余裕もなく全ての時間を学問につぎ込んできた自分が分からなくなっていました。そこに、『人生、やり直したくないか?もう一度若さを与えてやろう、なんでもファウストの言いつけは聞く』という悪魔が現れ、ファウストは悪魔の申し出をのんでしまった。交換条件は、ファウストがこの世を去る時、その魂であった。 その後、ファウストは若い肉体を与えられ、恋愛をするも、結果的にその女性と家族を全員、死に追いやってしまい、再び深く悩むことになった。そして、時の国王に預言者的なアプロ―チをしたことにより、国同士の争いに巻き込まれてしまいました。失意の中で、ファウストは現れた不足、罪、苦難、不安の美しい悪霊に出逢いますが、不足を遠ざけ苦難を恐れぬ勇気と、罪にとらわれない強き信念をもってそれぞれの悪霊を退けました。しかし不安の悪霊に、『最初の悪魔との、若返りの魔法の時間もまもなく終わり、捨てたはずの元のむなしい時が戻ってくる。それがあなたの不安。不安という私を退けることはできない。あなたは捨てた時の代償として両目の光を失うでしょう。その時あなたは真の闇を知る』と言われた時、ファウストは、悪魔の次は悪霊か!と、最初はけして認めませんでした。しかし次第に、多くの人と交わり誰かを愛しあえたとしても、結局、人間は孤独である。あてのない真っ暗闇の中で、皆、孤独の苦しさに耐えられず、自分の生きているという存在を確かめたくて、だれかとのつながりを求める。人はだれもが無限の闇におびえ、不安をうち消す光を求めて星を生み、命を育んだ。人のたましいを、裁きと救済だけに仕向ける傲慢な神など存在しない。この宇宙に神のためだけの聖域もないのだ。人は先の見えない暗闇をさまよう孤独な旅人であるが、幼子のように怯えと永遠の不安を抱えながらも、力強く歩いていこう。それが人間の可能性なのだと気づくようになった。

 人はどこから来て、何のためにいきるのか? 大きな問題です。少なくとも、孤独の苦しさに耐えられず、自分の生きているという存在を確かめたくて、だれかとのつながりを求めるというのは、現代社会でも全く同じであると思います。人の存在、それぞれが一条づつの光であり、命であり、“その交わりこそが今を生きている”ことなのではないかと私も思います。


桂華先生 活花(診察室)

 ファウスト博士が魂を売り渡すことまでして得た、若さと楽しさでも消し去ることができなかったこの不安の中で、我々はこの世の人生の旅人として良くても悪くても旅を終わらせなくてはいけません。神が裁きと救済を与えているのではなく、やはり私たち人間たちの生身の心の中に、自分への裁きと救済が必要なのではないかと思うのです。そして自分自身を褒めてあげる自分でいなくてはいけないと思います。

 新年にあたり、私も自分自身の人生の旅を見つめなおしています。